別寒辺牛湿原の特徴(後編)

 後編は、過去数千年前からの別寒辺牛湿原のお話しです。

 九州大学の鹿島 薫助教授の研究チームが、この湿原の地質調査にやってきて今年で4年になります。なぜ九州からわざわざ厚岸にまでやって来ているかといいますと、前編で触れましたこの湿原の特徴、他の湿原と比べてダイレクトに海水の出入りがあることに関係があります。

 他の湿原も同じように海水の出入りはありますが、それらのほとんどは、一旦湿原内に入った海水がいきなりその広い湿原に分散してしまい、水位の変化は短期的にも長期的にもごくわずかになります。過去の水位が高ければ高いほど堆積物も多くなり、より詳しい分析を行うことができます。ちょうどいいことに別寒辺牛川河口部は、前編で書いたとおり出入りする水による水位の差は非常に大きいものになります。これは、数百年、数千年という非常に長い期間による水位の変化も同様で、新しいもので過去5,000年前から現在までに起こったとされる気候の変化による2回の海面低下期などの痕跡などが、湿原に堆積した泥炭層にしっかりと刻み込まれているはずのです。実は、厚岸の別寒辺牛湿原が非常に泥炭の調査に適している環境であるということなのです。

 これら湿原の泥炭中に含まれる痕跡を調べ、過去の気象変化と海水面の上下を一致させることによって、今騒がれている地球の温暖化による海水面の上昇が本当に起こるのか?ということの証明にもつながっていくわけです。

 では、この九州大学の人達は泥炭層のどういった痕跡を調べているかといいますと、けい藻という単細胞の植物の化石を調べているのです。けい藻類は、水があるところなら何処にでも生息している植物で、環境が異なれば生息する種類も大きく異なり、過去の環境を探るのに適しています。この種類と、生息していただろう年代を調べ、その地点の水位、環境などを特定していった結果、上記2回の海面低下期や、他の様々な環境変化を発見することができたのです。その一例ですが、一番海水面があがった時期には、別寒辺牛川本流部分では出発点の少し上流部分まで、チライカリベツ川では糸魚沢の更に奥の方まで海であったことがわかりました。その当時ここに住んでいたのはアイヌの人々。牡蛎の生息していた痕跡も同時に発見されていますので、おそらくアイヌの人達は糸魚沢周辺で牡蛎を食べていたのでしょう。そう考えると湿原って面白いですね。